「その位置は冨崎」

 僕は、東京新宿でギャラリーを開いています。Neiの絵を中心に扱っています。
Neiは日本古来の友禅染めの技法を用いて、南の島々の情景をこまやかに描く作家でした。Neiは石垣島で暮したいとも想っていました。
その思いも叶わぬまま、永眠してしまいました。乳ガンでした。
Neiはボクの最愛の妻でした。

 沖縄を旅する人たちは、再びこの地を訪れたいと高い確立で思っています。
透明な緑の海。突き抜ける青い空。遥かかなたから流れ来る柔らかな風。うむ、ここに住みたい⋯と、いわゆる沖縄病にかかるんですね。
 Neiもまたそんな一人でした。ミーハーな僕は、違う理由で石垣島に暮らしたいと思っていました。それは、離島行きのベースとなる好位置にある。シュノーケリングを堪能できる。風に包まれて島酒を楽しめる。石垣牛も旨い。僕の大好きなBEGINの出身地。島田紳助もカレー屋を開店。民謡酒場もある。

 だから、僕とNeiの想いを叶えるために石垣島にNei美術館を造ろう。ほったて小屋でもいいさ。Neiの作品だけでなく、八重山の作家のアートを広めるお手伝いもしたいな。ギャラリーの主として多少の審美眼はある(つもり)。アートならなんでもやってみるさ。なんくるないさあ。

僕のそんな思いから、石垣島ネイ美術館の建設計画はスタートしました。さあて、どう進行して行きますやら。

島を知れ、人を知れ恥じを知れ


 島に住むには島を知れ。土地を知り人を知り。郷に入れは郷に従え。旅行者の顔で通過するだけでは島のことはわからないと言います。島の人も旅行者には寛大ですが、住人となると話しは別ということもあるかもしれません。

 僕たち、幾度となく通ううちにビジターでは計り知れない島の暮らしが見えてきました。Uターンしてきた事業家や、島人(しまんちゅ)と過ごすうちに、島のしきたりや考え方が少しではあるけれど、理解できるようになってきました。
 一般に漏れ聞くはなしの沖縄時間がありますね。「てーげー」だから約束の時間なんかいい加減。土地探しの時、僕もそのつもりでいて待ち合わせ場所にほんの少し遅れて行ったら、先方はもう到着していて、「どうして遅れるのさ」とご立腹。うむ。島時間だからとは言えず。ごめんなさい。聞けば東京から島にきて会社を興した方。島時間なんか関係ないと忙しそう。しかもボクは超リゾートファッションで、お遊びと思われる。

 「よく、いるのよ、ひやかしがね。こっちに遊びに来て、土地が安いと聞いたものだからちょいちょいと呼び出しておいて、あちこち案内しろと言ってさ」

僕は、超真面目に土地を探しているのに、何人かの不動産営業の方からそんな視線を投げかけられました。
 これではいけない、孫にも衣裳。僕は服が華美にならないように改め、すこしは実年齢にみられるように髭をたくわえ、落ちついた表情を演出。しかし、身から出る雰囲気はそう変えられるものではない、ぱっと見、正体不明の自由業。かえって怪しくなった感じも、うむ、なくはない。しかし、以前よりはましとみえて、不動産営業の方々は熱心に真面目に応対していただけるようにはなったのでした。めでたし、めでたし。

土地ころがされ狂想曲


 少し前、石垣島はミニバブルといわれていました。新空港が完成する。観光客が増える。働く人も増える。そんな予想の下に新しいホテルが開業。陸続とマンションが建つ。大型の宅地開発も完了した。住民と係争中のリゾートホテルもさらにある。しかし、調査によると本土からの観光客は減少(台湾からのチャーター便のおかげで、観光客総数はかろうじてプラス)。マンションもホテルも供給過剰じゃあないのと、心配する向きもありました。
 土地探しの最中の2007年1月に提示された土地の価格は、3月になり2倍になり、6月になってさらに高騰。わずかばかりの金銭を微蓄してきた僕にとっては、土地が遠のき希望の面積がグングン狭くなってくるので気がきではありません。幾月も走り回るうちに、ここぞという物件が出て来た。広さ良し、眺望良好、価格もクリア。即「手付け金」を入れる。ひと安心して東京に戻れば、これまた即日「あの場所は建物は建てられません」との連絡。
 なぜだ。どうしてそんな土地を売り付けるのだ。初めから分からなかったのか。調べたら今後、公園地区の建築規制が予想されるので、やめておいたほうが無難とのこと。ああ、また、振り出しに戻ってしまった。
 この先いつになったら建設予定地が見つかるのか。先の見えない不安と苛立ち。希望の物件を引き続き探してくださいねえ。お頼みしますよ。そんな気持ちで、一日千秋と待つしかなかったのでした。

 「出ました。すぐ来てください」ある日突然、まるで幽霊か何かが出現したみたいな連絡がありました。「これをのがすと、またいつ出るか分からないですから」美ら海不動産大底にいにいの脅しとも聞こえるコトバを受けて、期待と不安ないまぜの気持ちで文字どおり石垣島に飛んでいきました。

 島の西の端、灯台ごしに夕陽を望む場所があって、竹富、西表の黒い島影が見える。その島影の向こうに、赤々と燃える夕陽がその大きさを誇るように沈んでゆく。
 「いいじゃない!」とってもいいのか⋯、どうでもいいのか⋯、聞きようによっては異なる結果となるコトバでしたが、僕は少し鼻声ががってポツリとそうつぶやきました。乳ガンのために、志し半ばで他界したNeiのことを思い浮かべてもいました。もし、夕陽に照らされた僕の顔を仔細に眺める人がいたら、あるいはひとすじの涙を僕の頬に発見したかもしれません。ここに決めよう。冨崎に決めよう。

 その後、土地は天井知らずの様相を呈していましたが、2008年末になってようやく動きが止まったといいます。